つばさ遺跡発掘「安比奈線」
9月末で安比奈線ロケ地の公開が終了する。そういう話しは以前から聞いていた。
事務局スタッフからも10月5日その第一報のメールが入り、どのようになったのか気になっていた。
そこで、つばさ学会のテーマである遺跡発掘の第一弾として今の安比奈線をレポートしたいと思う
[終点付近]
入り口には柵がされており立ち入り禁止の札が立てられた。また、ロケ地の看板は撤去されていた。トロッコについては、立ち入り不可のため有無を確認できなかった。
[森とその入り口]
こちらは特に変化なし。西武運輸から森の中を覗けるところがあるがここもふさがれていなかった。
[ガーダー橋]
用水路を渡るガーダー橋付近も以前もまま。線路は草が一度刈り込まれてはいたが、再び生えたようでほとんど見ることができない状態だった。
[団子屋付近と16号線との交差]
団子屋付近。写真には無いが、住民の生活道路や花壇として使われているのは相変わらずで、立ち入り禁止の柵やロープなどで管理が強化されるような新たな動きは見られなかった。
[駅付近、鈴本スーパー]
駅付近までやってきたが、ここも変化はなし。鈴本スーパーこと「まるなか」も普段どおりの営業していた。
[結論]
安比奈線は現在休止線で、西武鉄道の車両基地としての計画という話しも出ていますが、今日の遺跡発掘ではロケ地が封鎖されたことをが確認されただけでした。
「つばさ」が帰ってくるその日まで、再び、長い眠りにつくのでしょうか?
また、何か変化があったらレポートします。
Posted: 10月 11th, 2010 under スタッフ便り - No Comments.
第1回つばさ学会研究会基調講演より
『つばさ』を名画になぞらえて
初版&若干の修正 2010.8.20
いつも文字を書き連ねてばかりなので、今日は趣向を変えて視覚に訴えることにしました。私ごとですが、ここ数年、人に連れられて美術館に行っているうちに、今年ボストン美術館展を見たあとぐらいから、西洋の絵画にハマりはじめまして、特にマネの絵を気に入っています。そこで今日は、『つばさ』は「こんなドラマだった!」というのをマネの絵などになぞらえてみたいと思います。(以下は、当日喋った内容よりずっと丁寧で整ったものになっています。)
描いてはいけないものを描いた『つばさ』
1枚目は「描いてはいけないものを描いた『つばさ』」と題して、エドゥアール・マネの「草上の昼食」(1863年)です。この絵は発表時には不道徳であると非難ごうごうでした。それと言うのも、それまでは主に神話を題材にして女性の裸を描くのが暗黙の約束だったのに、この絵はその時代の生身の女性の裸を描いてしまったからです。しかも女性が裸でいるのが自然な状況ではなく、今ここで明確な意思をもって裸になりましたよと言わんばかりに、ドレスが女性のかたわらに脱ぎ捨てられています。
当時のパリでは男女4人で森へピクニックに行くということは、2組のカップルがそれぞれそういう行為に至るということが公然の秘密だったそうで、みんなが知っているけれど口にはしないでいたパリという都市の生活の現実を、白日の下にさらす絵を描いてしまったわけです。
この絵の裸の女性は視線をしっかりこちらに向けていて、彼女の豊満な肉体に目をやったり、男女4人組が森で為すことに思いを馳せたりする鑑賞者の心を見透かしているかのようです。それまでの神話を題材にした裸体画では、女性の視線がこちらに向けられていないため、男性が安心して女性の裸を鑑賞する愉しみを味わえたのとは大違いなのです。
この絵は、王立アカデミーが審査するサロンという当時の画家の登竜門であった展覧会に出品され落選します。ところが、その年は落選者が多かったためにアカデミーと対立していたナポレオン3世が落選展の開催を命じるというハプニングがあり、この絵も多くの人々の目にふれることとなって、一大スキャンダルを巻きおこしたのです。
当時は写真が一般大衆にも身近なものになってきて、モデルを正確に写すという点で絵画は写真には及ばず、その存在意義がゆらぎ出していました。天使など見たことがないものは描かずに、現実に存在するものを描くというクールベのレアリスムの影響も受けていたマネが、絵画に何ができるかを模索し、おそらくスキャンダルになるのも狙って、パリに暮らす人々の現実を描いた作品です。マネの表現は遠近法を破ったり、絵の具もベタッと平面的に塗られ、筆の運びの跡も残っていたりして、それまでの伝統的な立体感を表す表現とはまったく異なるため、下手クソと非難されました。しかし、こうしたマネの挑戦が、印象派の勃興を導いたのでした。ちなみにマネは同じ年に「オランピア」という娼婦のヌードも描き、2年後のサロンに出して入選しますが、これは「草上の朝食」のスキャンダラスな面をさらに尖鋭化させた作品で、怒ってステッキを振り回す客から絵を護るために高い場所に展示されたそうです。
加乃子という生真面目な視聴者が受け入れにくい存在がヒロインに次ぐ主要人物となり、どの登場人物にも欠けたところがあって安心して言動を見ていられない危うさがあり、ベタなギャグやサンバなどやはり生真面目な視聴者には単純に楽しむことを恥ずかしい気持ちにさせる演出にあふれ、そればかりかこのドラマにのめり込んでいくうちに見る者もテレビの外の安全地帯から引きずり出されて見る者自身の心の闇のような部分に向き合わされたりする『つばさ』は、まさにマネの「草上の朝食」がスキャンダラスであった面と似通っていて、「描いてはいけないものを描いてしまった」と思わずにはいられません。
一見稚拙に見える『つばさ』
2枚目は「一見稚拙に見える『つばさ』」と題して、アンリ・ルソーの「戦争」(1894年)です。実はマネにハマるきっかけとなったのはNHKのBSでやっていた『巨匠たちの肖像』という画家を紹介するシリーズ番組だったのですが、ルソーについてはその番組を見ても、けったいな絵としか思えず、何じゃこりゃというのが正直な感想でした。ところが先日、オルセー美術館展に行って実物を見て、完全に心を奪われてしまいました。「一見稚拙に見える」という意味ではピカソでもよかったんですが、今とても気に入っているのでルソーの絵をもってきました。
この絵もルソーらしく、遠近法度外視、立体感の感じられないペタッとした表現、人間の顔は真正面か真横のみというヘンテコな絵なんですが、実物を目の当たりにしたら、心をつかまれ、グッと引き込まれてしまいました。一見稚拙でいい加減な絵のようですが、大きなカンバスのどこにも不真面目なものはなく、画家の全身全霊が込められているのが伝わってきます。
ルソーはパリの税関に勤めながらの日曜画家で、初めて絵を発表したのも35歳と遅く、この絵を描いた50歳近くになって税関を辞めて画家に専念します。今でこそ天才と呼ばれていますが、独自路線で描く絵がすべてこんな調子で、足で描いたんじゃないか、子供の落書きみたいとボロカスに言われ、絵を買い上げられるどころか嘲笑の対象でした。しかし本人はいたって大真面目。空想全開で、こんな絵ばかり描いています。この「戦争」もピカソの「ゲルニカ」に影響を与えたとも言われる今でこそ超有名な作品ですが、審査のない展覧会に出品されたあと、第二次世界大戦中に発見されるまで行方が不明だったとか。
こんな画風のルソーの絵が『つばさ』に通じているのは言わずもがなでしょう。ベタなギャグやサンバばかりか、娘の恋愛で親父が相撲をとったり、ドラキュラ姿で登場する浪岡、その浪岡の大音量のギター音をマシンガンの襲撃と身構えるつばさとヒロリン、書割を使った回想シーン、身内ばかりの歌合戦、旦那と奥さんが攻守ところをかえて自宅に篭城合戦、アドリブのオンパレードに千代まで突如駆り出される大衆演劇などなどなど、見た目のリアリティを取っ払ったストーリー展開は、グダグダで訳がわからないという酷評を浴びました。
ルソーの絵同様、一見稚拙に見える『つばさ』ですが、そのバカバカしさに手抜きはありません。真剣に大真面目につくられたバカバカしさがクセになる。そればかりか、そのバカバカしさが心象風景のように感じられるとき、ドラマは観る者ひとりひとりの心のリアリティに共鳴し、観る者ひとりひとりの人生経験に応じて、その人ごとの唯一無二のドラマとなり、心を鷲づかみにしてしまいます。
魔術的とも言われるルソーの絵の魅力はまさにオンリーワンですが、私もそうだったように、写真になったものをパッと見て、万人が一発で好きになる絵ではありません。ふざけて描いたのか、下手くそかと思うのが正直なところでしょう。オルセー展には、ルソーの作品はもう1枚「へび使いの女」というのが来ていて、これもまた凄くいいんですが、こちらは稚拙な感じがもっと少ないのと、ある程度ルソーが世間に評価されてからの作品なので、ボロカスに言われていた時代の作品こそ『つばさ』には似合うと思い「戦争」にしました。多部ちゃんが公式サイトのtabesha 219でオルセー展を近々見に行きたいと書いてましたが、ルソーの2枚の絵を目の当たりにして何を思ったのか、ちょっと興味があります。
リアルに見ると変なところもある『つばさ』
3枚目は「リアルに見ると変なところもある『つばさ』」と題して、再びマネの「フォリー・ベルジェールのバー」(1882年)です。フォリー・ベルジェールというのはパリのミュージック・ホールのような場所で、中央に描かれた物憂げな、しかし魅力的な若い女性は2階席にあるバーのウェイトレスです。ウェイトレスの後ろはずっと大鏡になっているので、背景の観客席は鏡に映ったものです。ですから、右手に描かれた女性の後姿は、このウェイトレスの後姿が鏡に映ったものなのです。そうすると右端に描かれた身体が切れている髭の紳士も鏡に映った姿なわけで、本体はウェイトレスの正面に立っているはずなのですが、そのような男性は描かれていません。リアルに見ると変な構図の絵なのです。しかし、そんな男性がこのウェイトレスの正面に立っている後姿など、誰も見たくはありませんね。これでいいのです。
鏡に映ったウェイトレスの後姿が本人より向かって右側に描かれているということは、画家はこの絵の右端のほうから彼女を見ていることになります。その正面に紳士が立っているならば、鏡に映ったウェイトレスと紳士はこの絵のようになります。その一方で、ウェイトレスの実像は、彼女の真正面から男性を取っ払って描いています。つまり実像と鏡に映った像とでは、視点と人間の配置を変えた構図になっていて、その2つが混在しているのです。この絵は51歳で生涯を閉じたマネの最後の作品で傑作として評価されていますが、発表当時は構図のこうした空間的な矛盾を批判されたようです。
実は、ここに描かれた女性の仕事はバーでのお給仕だけではありません。この場で紳士のお眼鏡にかなえば、ホールの出し物が引けたあと、お持ち帰りされて夜を共にして生活費を稼いでいたのです。そう知ると、彼女の物憂げな表情が意味するものにも納得がいきます。いや、むしろ紳士のお眼鏡にかなうにはもっと魅力的な表情をつくらなければいけないはずで、少し変ですね。もしかしたら後姿だけ映った鏡の虚像の世界では、嫌々ながらとびっきりの表情を紳士に見せていて、正面を向いた実像の世界では、彼女の心の内を表情として表しているのかもしれません。
マネが視点と配置を変えた矛盾した描写を混在させ、敢えて視覚的なリアリティのない構図にしてまで何かを描こうとしたように、『つばさ』も論理的に考えれば、おかしなところは至るところに散らばっていますが、そうまでして描きたかった心情のリアリティがあります。それが何なのか、観る者ひとりひとりが解釈したり感じ取ることができ、観る度に新たな気持ちにさせる、そんな多面性と世界の広がりが、表面的なリアリティを犠牲にすることで生まれているという点で、この絵に通じるものを感じます。
ちなみに物を見る視点を変えた描写が混在している絵としては、今回のオルセー展に来ているセザンヌの「台所のテーブル」(1888~1890年)という静物画が有名で、3段オチなら画家も3人にしたほうが座りがいいかなとも思いましたが、「フォリー・ベルジェールのバー」のほうが何年も前に発表されていて、ドラマ同様、人物を描いているということ、そして何よりも気に入っているマネの絵なので、こちらを選びました。
以上、にわか絵画ファンの解説ですので誤りも多いかもしれませんが、その点は大目に見てやってください。
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Posted: 8月 20th, 2010 under エッセイ - No Comments.
第1回学会発表「玉木家の一日は時の鐘と共に」by Noriさん
アブストラクト(要旨)
つばさの一日は、「ベッカム一郎の豪快シュート」を聞きながらの朝食の準備から始まる。
甘玉堂を引き払い、ラジオの仕事に関わるようになってからつばさの日常は大きく変わるが、それまでは、どのような日々を過ごして来たのだろうか?
それを主に第1〜2週から洗い出して行くと、ドラマで描かれなかったつばさの背景が浮かび上がってきた。また、彼女がたびたび口にした「日常とは違うことがストレスになるんです」といった理由も明らかになったので研究成果として発表する。
4枚1セットになっています。
- 順序はZ字(左上→右上→左下→右下)時状に読んで下さい。
- 動画(mp4、容量は33MB))はこちらです。
- 環境によってはうまく見れないケースがあります。
- Windowsをお使いの場合、 GOM Playerを入れてみて下さい。
起床:4時50分→朝食の準備:5時→朝食:6時(時の鐘)
通学:8時過ぎ→日中①、②→夕食:午後6時(時の鐘)
- 『時の鐘』が時を告げるのは、現在、6時、12時、3時、6時の4回である。これは、今から35年前の昭和50年6月10日の時の記念日に自動鐘撞機が導入されてからのことで、終戦後からそれまでは使われていなかった。
- 朝6時に朝食、12時に昼食、そして6時に夕食ということなので、玉木家は、時の鐘に合わせて一日が営まれているといえる。
- つばさは二十歳なので、生まれてからずっと『時の鐘』を耳に日々を過ごして来た。特に、おかんとなってからは、食事の時間と完全に重なるので、その間隔が身体に刻み込まれてしまった。そのため、リズムが崩れることはつばさには大きなストレスであり、第2週で斎藤に対して店を手放しくない理由を小松菜になぞらえれて語った名台詞につながったと結論付けられる。
Posted: 8月 15th, 2010 under 研究論文 - No Comments.
第一回学会発表 その2 「つばさ」における寺内貫太郎一家イズム (ももちゃ)
平成のホームドラマ「つばさ」これには良い意味での昭和ノスタルジーが入っている。
昭和とは私たちが過ごしてきたひとつの時代であり、昨今のブームでもある。
ここにNHK朝の連続ドラマ小説「つばさ」を、私の勝手な推測及び妄想を交え、
「つばさ」にある寺内貫太郎一家イズムを検証してみようと思う。
ある時期民放のTBSは「ドラマのTBS」と言われ、数々のヒットドラマを手掛けて来た。
その中でホームドラマと言えば「時間ですよ」「ありがとう」等々、
数えたらキリがないほどの名作があがる。
その中でも大ヒットしたのが、昭和49年に放送された「寺内貫太郎一家」である。
昭和の名プロデューサーと言われた久世光彦が、
小説家向田邦子を脚本に迎え、タッグを組んだ問題作である。
「つばさ」にはこの「寺内貫太郎一家」をオマージュとして、
数々の寺内貫太郎貫イズムを感じる事が出来る。
「つばさ」の良く練られた脚本、そして演出・撮影。
「つばさ」は、この寺内貫太郎一家のフィルターを通して観ると、
今迄が謎だと思っていた事が謎でなくなり、
そしてまた今迄普通だと思っていたシーンが謎となり次々と浮かび上がってくるのだ。
この事はパズルを解くが如く、実に厄介で楽しい事となった。
平成ドラマ「つばさ」はそのドタバタさで観る者を限定させた。
それは紛れもない事実ではあるが、実はそうではないのだ。
この事は追々検証していく事にするので、今回は割愛させていただく。
寺内貫太郎一家(以降寺貫)はさらにその上を行くドタバタ劇であった。
当時の時代を考えてもその内容は今観ても驚く事ばかりで、
ある意味時代の緩さもあったのではないだろうか?
正直一話一話の脚本は、「つばさ」のほうが良く出来ているし、
ディテールも細かく、さすが2009年のドラマと言える。
寺貫に関しては、今観てみると物凄く大雑把に出来ている感じがする。
しかし、逆に内容が単純な分、ストレートに観る者の感情に突き刺さってくる。
視聴者は安心出来るワンパターンが好きなのだ。
「つばさ」がディズニーランドとするならば、「寺内貫太郎一家」は浅草花やしきか。

1990年代昭和から平成・・・、ここに何かのヒントがあるような気がする。
今回は数々の謎から以下の事項について検証してみようと思う。
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しかし、本日は時間がないようなので「赤の想い」だけにしよう(笑)
この「赤の想い」も「つばさ」における寺貫イズムのひとつなのだ。
始まってすぐに玉木つばさが台所に来て、ラジオのスイッチを入れる。
この携帯ラジオの色が赤なのである。
なぁんだ、普通の携帯ラジオじゃないか?
と普通は思うが「つばさ」を観た人であれば、
ラジオが以降伏線となってくる事はお分かりであろう。
私はこのラジオの赤色に着目した。
あきらかにこの携帯ラジオは後から塗ってあるのだ。
要は色を塗り替えているのである。
なぜ?
NHKだから特定メーカーと断定出来るのを避ける為?
まぁ、それもあると思うが、では何故赤く塗る必要がある?
別に赤色でなくても良いのではないか・・・。
最初に赤いラジオをアップで見せ、しかもここでスイッチを入れる動作をも見せている。
この事により、赤で観る者を覚醒させ、
「これから凄いもの作るぜ」と、
これから前代未聞の「つばさ」が始まる合図をラジオのスイッチとだぶらせて見せて、
「つばさ」に懸けるスタッフの意気込みをも映像に取り込んだのではないか。
ここはもちろん演出の魔術師・西谷さんの戦略でないかとも推測出来る。
革命・情熱・熱い・燃える・力・勇気・女の子・エネルギー・
勝利・激しい・危険・派手・活発・温かい・そして愛
赤好きな人は
感情表現豊かで前向きな人
激情・興奮・何事にも向かっていく人、らしい。
すべての事柄が「つばさ」にリンクしていると思う。
もちろんこれはこの「つばさ」に懸けた、後藤チーフプロデューサーの想いでもあると思う。
だから赤ちゃんと言うのかは分からない。
赤に込められた想いはこれだけではない。
もちろんここにも寺貫イズムは存在している。
寺貫ドラマの中ではいつも赤がアクセントに所々散りばめられているのだ。
左とん平扮するタメさんの赤いとっくりセーターや帽子。
お手伝いさん美代ちゃん役の浅田美代子の、ストライキ中の赤い鉢巻や赤いエプロンや衣装などの色。
そして前作「時間ですよ」の挿入歌赤い風船。
比較的地味なセットの色に対して、わざとと言っていいくらい赤が目を引く。
そして美代ちゃんの「私赤が一番好きなの」と言うセリフまで。
久世ワールド全開である。
赤色を有効に使用している名作はまだある。
皆さんは「幸せの黄色いハンカチ」という映画はご存知だろうか?
高倉健・桃井かおり・武田鉄也出演の1977年10月公開の山田洋次監督作品である。
この映画のラストシーンはこの作品の最大の見せ場で、
たくさんの黄色いハンカチが青空に舞っている感動するシーンである。
えっ、だからこの映画は黄色でしょ?と思うはずだ。
タイトルがずばり、黄色いハンカチという事で、観る者に既に刷り込まれているのだ。
確かに監督がこの黄色を際立たせる為に、映画の中では徹底的に黄色を排除して、
撮影している。
だからこの映画には黄色は最後のシーンにしか出て来ない。
しかし、この映画にはもっと有効に使用されている色がある事に気がついたであろうか?
武田鉄也が運転する赤いファミリアなどはその筆頭であろう。
そのクルマはこの映画の第二の顔となっている事は紛れもない事実であるし、
この映画を観ると赤色が有効に使用されているのが分かるはずだ。
赤という色の持つ効果は、計り知れないものがある。
蛇足ではあるが、この「幸せの黄色いハンカチ」がリメーク版として
アメリカ映画「ザ・イエローハンカチーフ」として、今日6月26日から公開である。
以上の事から
「つばさ」は寺内貫太郎一家をかなり強力に物語のベースとしている事が分かる。
たかが赤い携帯ラジオではあるが、このワンシーンの中からでも、
「つばさ」スタッフの強烈なメッセージが伝わってくるのである。
これから始まる全てのスタッフの見えない何かへの挑戦
、
怒涛のつばさ嵐の前の静かなさざ波が開始5秒で垣間見えてくるのだ。
「つばさ」の本当の凄さはまだまだこれからなのである。
今後もこの寺内貫太郎一家のフィルターを通した「つばさ」を
徹底的にバラバラにして検証していきたいと思っている。
Posted: 7月 14th, 2010 under 研究論文 - No Comments.
第一回学会発表 その1 「つばさ」0.5回 (白石美穂)
そもそも、自分のイメージとしては「NHK朝の連続テレビ小説」ってなんか「これぞ日本人」ってのがあってあんまなじめないものがあったんですよネ。
決まりきったモノ・・というより自分の世界観がそうなっちゃったみたい。
そう、当時「おしん」がかなり視聴率が良くってドラマ好きではないわたしまで業務上見ざろう得ない始末・・・まわりの話について行くためにです。
以来、ま、オン・タイムでは無理、でも録画してまでも見る必要がないなぁって、そもそも一週間分まとめて観る時間もない、なので「朝ドラ」とは別の世界に行ってしまった感がありました。
「つばさ」は全国を巡りめぐって最後、埼玉、川越だょってことで、「ふぅ~ん、朝ドラってそうゅーもんなんだぁ」って気が付いたわたしが、どうして、なぜ「つばさ」ごとき(?)に残り半分の人生を捧げる(?)ようになっちゃったかって・・・。
ま、最初は、とりあえず、地元、話のネタということで見てみようかなぁっていう軽い気持ちでいたのでした。
まずは、そのドラマのイメージを作ってしまう「オープニング」「タイトルバック」と行きたいトコなんだけど最初から」本編入いちゃっているぅう・・・し
最近の朝ドラってこーなんだぁ・・・ふぅ~ん、そもそも朝ドラに興味のなかったわたしには当然「パス」。
しばらくして、お決まりの~っ、どこか高いトコからですね?あ、静止画なぁんだぁあ、これがもしかして川越なぁんだぁ。
これ多部ちゃんね、ヒロインだょね、ふぅ~ん、どこかの屋根の上、すべったらね、あぶねーよなぁ・・・あれヘルメットは?・・・あるわきゃねーょ、って位にしか思わなかったんでけども。
そのうち、「なんで?どうして??どうしちゃったの???・・・天下ご免のNHK様~っ!・・・こーゆーのってアリなのぅう~」
脳みその中味がぶっ飛んで壊れていたわたしがいました。
『な・ん・で・安・比・奈・線・な・の・?』
なぜ?どうして?いまさら?過去の遺産の安比奈線なの?って・・・。
川越ってほかにに名所、旧跡いくらでもあるでしょうに。わたしでさえ知っている、喜多院、氷川神社・・・名所案内なんぞをすれは良いと思いましたけど。
このオープニングですと一般ウケは絶対しないなぁって思いましたョ。でも当然わたしは大歓迎でしたけど。
とういのがわたしの「つばさ」との出会いでした。
誰にでもキッカケがありますが、表向きは一応こうゆーことになっておりますので・・・。
でも、「つばさ」にもっともっとハマってしまった理由はこの後どんどんドラマが展開されていくごとに深くなっていってしまうのでした。
その後さっそく、その週の週末にはのこのこ安比奈線に向かったのですょ。
まだ、本編には放送されていない時ですょ。
どんな形で登場するのかもわからないうちに・・・。
ま、安比奈線は大古の昔行ったことがあるので、今回はどんな風に「朽ちて」いるか非常に興味があったんですょ。
まぁ、よく「保存」しておりますね。休止線だから当たり前ですけど。架線柱の倒壊は一本も無く、しかも木の架線柱をコンクリート柱で支えている。なんだかなぁ・・よくわからない・・・・これ、大人の事情っていうのかなぁ?
でもね、今回「全国出演」出来て、ほんと、安比奈線って幸せモノですよ・・・。
暗いイメージのこの手の路線を明るく、前向きに演出していただいた関係方々に深く感謝するしだいであります。
かなり「趣味」に走っていませんか?担当者の方々?
「廃線」(この場合は休止線)って鉄道趣味の中でも、最も精鋭的存在であり、リアルではない、そもそも、んなモノ見て何がノスタルジーだ!って声が世間一般から聞こえてきます。でもね、この安比奈線はマニア(といたします)にとってはパラダイスであり、新宿から1時間足らずで来ることの出来る手軽な所がウケているのでしょうね。
なんで「安比奈休止線」をあえて使ったのはなぜなんだろうと・・・・。
途中で楽しむことを断念してしまった方には残念ですけど、その答えは第155回までとっておく(とっておける)というお楽しみもありましたね。
Posted: 7月 14th, 2010 under エッセイ - No Comments.
つばさ短歌 第五週
第5週「運命の人」から。
<第25回(月曜日)>
(キネマにて翔太も交えイブを祝う一同、宮崎ポロナティーボに合格したと言う翔太、おでん鍋でイブを祝う玉木家一同、帰宅したつばさの様子に動揺する竹雄、翌日、元日には翔太を招いたと告げる加乃子、驚く一同を見て詠める)
頬染めてうつむき加減の娘思い和菓子を作る手も空回り
<第26回(火曜日)>
(元日を迎える川越の風景、晴れ着姿で出掛けてしまう万里、意気込む竹雄、ご近所さん訪れサンバダンサーも現れ騒々しいのを一喝する千代、つばさと一緒に宮崎へと願い出る翔太、即座に却下する千代、異議を唱える加乃子を見て詠める)
若き二人の前途を阻む祖母の声に新しき年も波乱の予感
<第27回(水曜日)>
(初詣に出掛け宮崎行き真剣に考えてと告げる翔太、運命の人に出会う事あると思うとおやじ3人に言う麻子、自分は大丈夫と洗物をする知秋、ブースでマイクに向かっても、翔太や千代や加乃子の言葉で頭が一杯のつばさを見て詠める)
祖母も父も母も弟もあとさきの事を考え波立つ家族
<第28回(木曜日)>
(宮崎に行きたい自分川越に残りたい自分どっちかを自分で決めろと言う真瀬、昔の事あれこれやつばさへの思いを翔太に語る竹雄、やはり宮崎に行こうと決めブースから外へ出るつばさ、そこへ雨の中現われる翔太を見て詠める)
自分が無いのかと自問自答を繰り返しようやく決めても雨降り込める
<第29回(金曜日)>
(ずぶ濡れになり戻るつばさ、私がこの店継ぐんだから、腕のいい職人さん養子にしてさ、と叩きつけ千代に平手打ちされるつばさ、バスに乗る翔太に懸命に話す万里、真瀬に促され試験放送のマイクに向き合うつばさを見て詠める)
心決めて伝えれど雨に流されて頬に数多のしずく流るる
<第30回(土曜日)>
(試験放送キューを出す真瀬、マイクに語りかけるつばさ、バスを追いかけ翔太にラジオを渡す万里、試験放送を聞く顔なじみの面々、屋根の上でお酒を飲む万里とつばさ、物干し台の上で帽子とマント姿のラジオの男を見て詠める)
今週は俺の出番が少ないねつばさが自分で語っているから
Posted: 7月 12th, 2010 under 文芸作品 - No Comments.
第1回つばさ学会は大盛況で終了しました!(速報)
平成22年6月26日(土)にNHK渋谷で開催されました「第1回つばさ学会」は大盛況のうちに終了しました。
当日の発表内容などは徐々にアップされる予定ですが、まずは、ホットなうちにということで速報をお届けします。
スケジュール
13時00分 NHK試写室にて第1週(第1回~6回)の鑑賞。
- 後藤CP、Deep Purplinさん、川越市役所観光課殿による開会の挨拶
- 各回ごとにDeep Purplinさんの解説や見所も交えて
15時30分 会場を移して、つばさ学会研究発表会
※プライバシー保護のため全体にぼかしをかけています。
演目
- ①DeepPurplinさんによる基調講演
- 名画に準えて(著作権上、絵は載せられませんので検索してみて下さい)
- 描いてはいけないものを描いた「つばさ」 :マネ「草上の昼食」
- 一見稚拙に見える「つばさ」:ルソー「戦争」
- リアルに見ると変なところもある「つばさ」:マネ「フォリー・ベルジェールのバー」
- 私にとってのつばさ研究
- 名画に準えて(著作権上、絵は載せられませんので検索してみて下さい)
- ②「玉木家の一日は時の鐘と共に」by Noriさん
- 第1回、2回から「つばさ」を中心とした玉木家の一日を読み解く
- ③「玉木家の台所と食生活から“つばさ”を見る」 by 瑠璃姫さん
- 大根の葉の水耕栽培から、過去のNHKドラマへの意外なつながりが!?
- ④「つばさ、第0.5回」by 白石美穂さん
- タイトルバック「安比奈線」が、つばさのドラマを見るきっかけとなった。
- ⑤「つばさにおける寺内貫太郎一家イズム」by ももちゃさん
- 赤の想い(携帯ラジオに隠された赤に対するスタッフの挑戦とは?)
- ⑦「つばさ学会第1回に参加して読める」by ヒロリンLOVEさん
- ⑧「つばさメドレー Wings of MY Heart、周波数を探して、大空に向かって、あなたが好き」by 南犬塚のまぁさん
- ギター演奏
- ⑨「あなたが好き」by Canonさん親子(音楽のみの参加)
- 328つばさファイナルで使われなかった「あなたが好き」のピアノ&バイオリン演奏バージョン
17時10分 つばさ学会討論会
19時00分 「第1回つばさ学会」閉幕。
謝辞
お忙しい中、「つばさファン」のために時間を割いてくださった、後藤高久チーフプロデューサ、西谷真一プロデューサ、大橋守プロデューサ。そして、この日のために準備をしてくださったNHKスタッフの皆様にはただただ感謝するばかりです。
また、学会の進行役とナビゲータを司ったDeep Purplinさんや学会を盛り上げて下さった参加者の皆様の協力で第一回つばさ学会は無事に閉幕を迎えることができました。
今回はお仕事の都合で参加できなかった「つばさファン」の皆様のためにも、第2回、3回と引き続き開催できるように「つばさファンクラブ」スタッフ一同頑張りたいと思います。そして、学会を始めとして色々な形で「つばさ」を愛し続けていくことが、「つばさ」を作り上げたキャスト、スタッフへ我々ファンができる感謝の表現の1つではないかと思っています。
キャスト、スタッフ、そしてファンの願いは、再放送と続編にあります。それが、実現するまで、これからも「つばさ」を宜しくお願いします。
本当にありがとうございました!
Posted: 6月 27th, 2010 under スタッフ便り - No Comments.
つばさ短歌 第四週
第4週「つばさよ、あれが恋の灯だ」から。
<第19回(月曜日)>
(出資依頼の帰途、そば店店頭で翔太に会い「つきあってくれ。」と言われたり「寮に入ってるからなかなか会えなくて。」と言われたりで誤解しかけるつばさ、自宅まで送ってもらったのを万里に見られ険悪になりかけるを見て詠める)
恋をすればと励まされし友立ち尽くし今のはもしやと我が心を問ふ
<第20回(火曜日)>
(告白準備に力の入る万里、鈴本スーパーに出資依頼の後自分の依頼先に出掛けようとし佐知江の倒れるのに遭遇して慌てるつばさ、病院に駆けつけた翔太に、プロに挑戦への畏怖を聞かされ大丈夫と言うつばさを見て詠める)
男子たるもの自信に満ちているはずと大いなる誤解今更に気づく
<第21回(水曜日)>
(佐知江の病室で朝まで一緒の翔太とつばさ、娘たちの恋に気を揉み相撲で決着つけようとする竹雄と泰典、ラジオ局への出資を断る鈴本社長、佐知江とつばさの会話を漏れ聞いてしまい自分を情けなく思う翔太を見て詠める)
本当はサッカー駄目でも構わないのときつい口調の陰で言う母
<第22回(木曜日)>
(慰めてくれなくていいと言う翔太に電話も出来ず一日終えるつばさ、心を動かされれば人は動くと千代に言われるつばさ、酒を飲みつつ古い夢は子供の新しい夢に譲る位覚悟を決めなきゃと呟く泰典たちオヤジ3人を見て詠める)
いっぱいいっぱいねと今の心見透かされても気になる人に掛ける言葉無し
<第23回(金曜日)>
(つばさに言われサッカーは自分の夢だからこそやるとわかったと万里に語る翔太、クリスマスイルミネーションを完成させ、鈴本社長からラジオ局に出資するとの言葉で喜ぶ一同、家の前硬い表情でつばさを待つ万里を見て詠める)
真瀬昌彦遊びでも本気出してやりますよとラジオに賭ける思い溢るる
<第24回(土曜日)>
(翔太の心は既につばさのものと叩きつける万里、二十歳の頃は恋してたわと言い竹雄に聞き咎められ逃げ出す加乃子、サンタクロース姿で現れるラジオの男、ラジオ局のイルミネーション前で告白し抱擁されるつばさを見て詠める)
いい子だろうが悪い子だろうがあんただろ一歩踏み出して告白をする
Posted: 6月 17th, 2010 under その他 - No Comments.
つばさ短歌 第三週
つばさ第3週「家族の周波数」から。
<第13回(月曜日)>
(真瀬の所に家賃取立てに来るスーツ姿のつばさ、つばさ不在の家の中で自室の鏡ひび入らせたり幼い日の親子写真破り捨てたりの知秋を見て詠める)
不思議にも荒れる知秋よくわかり我と我が身に問い返しけり
<第14回(火曜日)>
(餡がうまく煮えないことから千代に啖呵きってしまう竹雄、体操着の名前を勝手につけかえたと加乃子に向かって怒りを露わにする知秋を見て詠める)
行き違いすれ違うこと多かりし周波数知らず寂しかりけり
<第15回(水曜日)>
(朝一番つばさの所在を加乃子に尋ねる知秋、周波数探し途中で保育園児に目を止める真瀬、食卓をひっくり返す知秋、慌てる家族一同を見て詠める)
母おらず不憫に思ふ子供らの叫びを聞きてなすすべもなし
<第16回(木曜日)>
(部屋の押入れから出てきたラジオの男に自分もおかんをやることで心の穴を埋めていたのに気づいたと語るつばさ、翌朝加乃子が家を出るを見て詠める)
泣いたことの無い子が心ぶちまけて皆それぞれに己に問う日
<第17回(金曜日)>
(母も家族じゃないの、一応、とつけ足すつばさ、田谷堰近くで、あの頃自分は息が詰まりそうだったと語る加乃子、家族の周波数を必ず見つけると知秋に言うつばさを見て詠める)
妻探すよりあまたま作れと命じる祖母に母も一応家族よと言ふ
<第18回(土曜日)>
(安比奈線廃線路でラジオの周波数を見つけ喜ぶ真瀬、つばさら4人、田谷堰で号泣しつつつばさと知秋を抱き締める加乃子、その後サンバダンサーの踊りを見て詠める)
何故に壊れかけの家族号泣す派手な踊りのその裏側は
Posted: 6月 17th, 2010 under その他 - No Comments.
つばさ短歌 第二週
つばさ第2週「甘玉堂よ、永遠に」から。
<第7回(月曜日)>
(店の為に何かしたいと願い出るつばさ、それは自分の領分と主張し退けようとする千代、いきなり一千万円の現金を借りてくる加乃子を見て詠める)
我もまた二十歳の年に青かりし心の憂いを親にぶつけぬ
<第8回(火曜日)>
(手作りのあまたまと、あずき2号のあまたまの食べ比べ、その夜深酒をして鳶の頭や鈴本社長、麻子らに連れられ帰って来た竹雄を見て詠める)
若かりし我の問いかけに父母は戸惑い居りて答え出し得ず
<第9回(水曜日)>
(ブローカーが詐欺師と発覚の後、自転車にあまたまを積み町中売り込みに回るつばさ、センジュくんを店頭販売する加乃子、見咎める千代を見て詠める)
父の作る色とりどりの和菓子ありて祖母・母・娘見守るごとし
<第10回(木曜日)>
(材料の質を落とすのを試す千代と竹雄、機先を制して土地家屋売却・移転を持ちかけるヒロリン、絶対駄目と長口舌をふるうつばさを見て詠める)
若き日の加乃子にも似てひたむきな瞳の奥に遠き日を見る
<第11回(金曜日)>
(店の移転を決め引越し準備する中、ラジオの男背広姿にて登場し、つばさに茶茶入れるを見て詠める)
自転車押されドキドキしたねと茶茶入れてあまたま貰えずラジオを運ぶ
<第12回(土曜日)>
(新しい店に掲げられた看板を見上げる家族5人、どたばたと部屋割りを決め落ち着いた翌朝、ヒロリンが仕事の依頼のため来訪するを見て詠める)
家移りを終えて看板仰ぎ見ゆ行く末思いつサンバのリズム
Posted: 6月 10th, 2010 under 文芸作品 - No Comments.


































